彼女がゴスロリに着替えたら


 

「はぁ…はぁ…」

 長い廊下をわざと足音を立てて走り抜け、障子を開ける音でフェイクを入れる。
 ひらひらしたその服は、はっきり言って走りにくい。よくわからないところに風を感じるし、何より恥ずかしい。

(くッ…)

 魂魄妖夢は、上着の乱れを直しながら走り続けた。


 事の始まりは、八雲紫がこの白玉楼にやってきたことから始まった。

「幽々子ー? いるかしらー?」
「紫様…。そういう台詞は玄関で言うものと古来から決まっていると思うのですが」
「あら妖夢。相変わらずね」

 庭の掃き掃除をしていて、いきなり目の前の空間が捻じ曲がったかと思えば、ひょっこり紫が顔を出した。しかもあろう事か逆さまだ。いつも玄関の方から入るようにといっているのに…、と妖夢は静かに楼観剣から手を離す。

「冥界の住人にその挨拶はどうかと思います」
「…可愛げのないところが相変わらずね」
「それはどうも」

 ずるり、と音が聞こえてきそうな仕草で、亀裂を抜け出して庭に降り立つ。妖夢の目の端に集めた落ち葉が舞い上がるのが見えたが、見て見ぬ振りをする。仮にも主人の客人だ。怒ってはいけない。そう、紫の顔が半笑いで、どこからどう見ても確信犯だったとしても、頭にきてはいけない。

「今日は、どうされたんですか?」
「ん〜? ちょっといい天気だからお茶しに来ただけよ」

 なんだ。
 この、笑顔の裏の真意は、なんだ。
 傍目にも不気味な笑顔浮かべた紫に、妖夢は本能的に警戒する。

「…そんなに身構えなくても、妖夢には直接関係ないことよ」
「ということは、間接的には関係あるんですね?」
「さぁ? それを決めるのは私じゃないわ」
「……」

 紫はそれ以上話す気がないのか、扇子で口元を隠す。できるならばここでお引取り願いたいところだが、そうもいきそうにない。妖夢はひとつため息とつくと、背を向けて歩き出す。

「…どうぞ。幽々子様は離れにおられる筈です」
「あら。ありがとう」

 思えば、この時点で何か思うところはあったのだ。
 思わせぶりな紫の態度と言い回し。警戒はしていたものの、危機感を持っていたとは言い難い。
 そう。ここで、紫が散らかした庭の掃き掃除を続けていればよかったのだ。
 気を利かせて、お茶なんか持っていく必要は、なかったのだ…。


「?」

 お茶とお茶菓子を持って、離れへの廊下を歩いていた妖夢は、離れからにぎやかな声が聞こえるのを聞いて、歩みを止めた。

(この声…藍と橙? 二人も来てたのね…)

 時折幽々子と紫の声に混じって聞こえてくる元気な声は橙。落ち着いた声は藍だろう。藍が白玉楼に来ることはよくあるが、橙が来ることは珍しい。何かあったのだろうか。
 それにしても、二人客人が増えたのだ。お茶の量は問題ないだろうが、湯飲みが足りない。取りに戻るしかないのだが、そうするとお茶が渋くなってしまう。どうしたものかと悩んでいると、

「妖夢―――! ちょっと来なさい――――!」

 幽々子様に呼ばれてしまった。仕方がない。後で二人には改めてお茶を持っていくことにしよう。

「…お待たせしました。どうしましたか? ゆゆ…」

 障子を開けて、そして、固まった。

「……橙?」

 目の前にいるのは、確かに橙だ。知り合いの顔を忘れるほど薄情ではない…が

「どうしたの、その服…?」

 橙は見慣れない服を着ていた。いつもの活動的なシンプルな服ではない。なにか、よくわからないひらひらがたくさんついた、あの服一つで妖夢の洋服が三着は作れるんじゃないかと思うほど、多くの布を使った服だった。

「いいでしょ〜。この服。この間半妖の店で見かけたんだけどね。これは橙に似合うと思って衝動買いしちゃったのよ〜」

 ニコニコ顔で紫がそう説明する。半妖…香霖堂か…。

「私としては、橙らしく明るい色のほうがいいと思うんだが、まあ、たまにはこういう色合いの服もいいかなと思ったりもするんだ。まあ、機能性は皆無だが、なんていうかこう…」

 藍は相変わらず難しいことを言っていると思ったが、よく見れば顔は総崩れだし、九尾がせわしなくうねうねと動いている。素直に似合っていると言えばいいのに。

「あ、あの、紫様…やっぱりこの服、は…」
「何言ってるの。とっても似合ってるじゃない」

 そう。確かにその服は橙に似合っていた。普段のイメージからは正反対な服装ではあるが、恥ずかしそうな橙の姿と相まって愛らしさをかもし出している。

「確かに…似合っていますね。可愛いですよ」
「あ、ありがとうございます…」

 妖夢の言葉に、さらに恥ずかしさが増したのか、赤くなって俯いてしまう橙。

「さあ、幽々子! これでもあなたは折れないの?」
「え?」
「……」

 そこで初めて妖夢は幽々子を見る。にぎやかな部屋の中で一人黙っている幽々子は、難しい顔をして橙を見ていた。

「幽々子様…?」
「紫」
「なにかしら?」
「確かに橙は可愛いわ。普段快活な橙のイメージとのギャップを狙ったゴスロリ衣装。さすがね」
「ふふ…ありがとう」
「でも!」

 ばっと立ち上がり、胸元に差していた扇子で、一直線に妖夢を示す。


「うちの妖夢の方が、似合うわ!」


 部屋が静まる。
 八つの瞳はそれぞれ違った感情をたたえながら妖夢を捉え、そして指された本人は、

「え?」

 状況がよくわかっていなかった。

「藍」
「はっ」

 だが、そんなことはかまわないとばかりに紫の声とともに、藍が妖夢の動きを封じ、瞬きをする間に、紫の手には橙が着ている衣装が現れる。

「え、え?」
「そこまで言うならいいじゃない。並べてみれば早いわ」
「ふっ…自分から負けを認めにいくとはいい度胸ね。後悔するならもう遅いわよ」

 そして、妖夢に迫る二つの影。

「「さあ。お着替えの時間よ」」
「え、ええええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!?」

 

「むぅ…」
「ほらぁ! やっぱり似合うじゃない!」
「これは…」
「はぁ…きれいです…」

 三者三様に言葉を発する。その視線の先にいるのは、言うまでもなく魂魄妖夢その人である。

「……」

 ゴシックロリータ、過剰なフリル装飾がついたその衣装は、図ったかのように妖夢のサイズにぴったりだった。藍の術で体の自由が利かなかったため、これ異常ない完璧な具合で着替えさせられてしまった。

「ふふん! どうよ!」
「た、確かに似合ってる…。元気で快活とまではいかないまでも、行動的な妖夢だ。しかもそのクールともいえる性格が恥ずかしがるその様は、悔しいが橙のそれを上回っている…ッ!」

 悔しそうにそうつぶやく藍に、「藍さま…」と橙が寄り添う。なんだ。私は何か悪いことをしたのか。勝ち誇る幽々子様とじっとこっちを見つめる紫の視線と、よくわからない理由で寄り添う二人を見ながら、妖夢は恥ずかしさで体温が上がっていくのがわかった。

「も、もういいでしょう! 着替えさせてください!」
「ふふん! どうよ紫!」
「幽々子様! 勝ち誇ってないでですね!」
「……」
「紫様! その意味深に真剣な目で私を見るのをやめてください!」
「橙…」
「藍さま…」
「んで、そこの二人はもう帰ってくださいッ!」

 何なんだ。何の罰ゲームなんだこれは!


「いえ、まだよ」

 幽々子に言われ続けていた紫は、そうつぶやくと、橙を立ち上がらせ、妖夢の横に並べた。そして、なぜか正面から見比べることはせずに、真横からじっと真剣な目で見つめ始めた。

「ちょっと紫、何を…」
「黙ってて! それと妖夢、動かないで!」
「え、あ、はい…」

 そうしてしばらく見つめ続けた後、ふっと笑って紫は幽々子に向き直った。

「…残念ね、幽々子」
「な、何よ…」
「確かに妖夢にもゴスロリを着せたのはさすがね。毒をもって毒を制す。そこには橙と同等の萌えがあったわ」

 紫様は何を言っているんだろう…。

「それじゃあ、この勝負、最低でも引き分け…」

 そう言う幽々子の言葉をさえぎって紫は首を振る。

「な、何よ…」
「幽々子。あなたほどの人が見てわからないの?」
「何を…」

 紫が見ていたものは何なのか。幽々子は先ほどまで紫がいた場所まで移動し、藍もそれにならった。

「…あッ!」
「なッ…!」
「ふ…気がついたようね…」
「こ、これは…」


「「バ、バストカップの差!?」」


「は?」
「え?」

 当事者二人は何を言っているんだという風に聞き返す。

「なんてこと…!」
「ふふ…そうよ! わずかに橙のほうが胸が大きいのよ!」
「「え」」

 紫の言葉を聞いた瞬間、二人は顔を見合わせ、そして同時に胸に視線を落とし、たっぷり五秒の後、相手の胸を見て、薄ら笑いを浮かべた。
(ちぇ、橙に、負けた…!?)

 底知れない寒さが足元から這い上がり、先ほどまで感じていた恥ずかしさはどこかに行ってしまったかのようだった。

(さ、晒しよ! 晒しを巻いてるから…!)

 と、逃避をしようとしたものの、先ほど着替えさせられたときに剥ぎ取られていたことを思い出し、余計にダメージを負う。目の端で笑顔を浮かべている橙を見て、妖夢は笑顔を顔に貼り付けながら肩を落とした。

「ま、待ちなさい紫!」
「あら、何? この件に関して反論があるのかしら?」
「世の中には『そういう需要』だってあるのよ! その意見を無視するのは…!」
「あなた、自分の存在を否定するつもり?」
「くっ…」

 恨めしそうに自分の胸元に視線を落とした後、半ば生気が抜けかけている妖夢に向き直り、

「妖夢」
「……」
「妖夢!」
「…はい」

「あなたには、エロが足りない!」

「……は?」
「問答、無用!」

 がっと後ろに回りこまれ、わきの下に腕を回された。背中に今の妖夢にとってはほとんど凶器といっても差し支えない存在を感じる。

「幽々子様…?」
「やっぱり悠長に構えてていいのは遺伝がしっかりしている人だけなのよ! ない人間はないなりに努力を怠っては駄目なのよ!」

 何を、と言い掛けて、妖夢はその言葉を飲み込んだ。目にも留まらない速さで、首元から幽々子の手が地肌を探り、そしてそのまま胸元へ、と…

「いやあぁぁぁぁぁぁッ」

 そしてそこまでが限界だった。
 先ほどまでの恥ずかしさの分もまとめて、声に乗せてぶちまけた。妖夢の剣士としての気が、幽々子の、紫の、藍の、橙の動きを止める。その一瞬の隙を逃さず、妖夢はその場を逃げ出した。

 

「はぁ…っく…」

 何度も無駄に角を折れ、後ろを確認しながら走り続けた。気配はないが、相手は白玉楼の主と、幻想郷最強といっても過言ではない妖怪だ。本能的に白楼剣を持ち出してきたのは自分でもよくやったと思うものの、あの二人にこの剣一本で何ができるものかとも思う。
 とにもかくにも距離を、時間を置くしかない。ああなった幽々子様は立ちの悪さでは天下一品だし、紫様もそれに便乗するだろう。とりあえず、白玉楼から出てしまうのが得策か…。

「妖夢!」
「! 幽々子…様…」

 玄関の前に待ち構えていたのは、幽々子様だった。さすがに行動を読まれている…。

「妖夢、なぜ逃げるの」
「むしろあの状況で逃げない人がいたら、それはそれで尊敬します…」
「私はこんなにあなたのことを思ってやっているのに…」
「世間には、大きなお世話という過去の偉人が生み出した尊い言葉があるんです!」
「大丈夫…私に任せれば…大丈夫…」
「どこの宗教、です、か…」

 あれ? 何かまぶたが…

「ほら、私の目を見て…? 嘘をついている目じゃないでしょう…?」
「う…う…?」

 視界がゆっくりと近づいてくる幽々子様で埋め尽くされる。ふわりと体に触れられた瞬間、体に残っていた力が抜けていくのを感じた。

「そう、力を抜きなさい…大丈夫。何も不安なことはないわ…」

 幽々子様が後ろから抱き着いてくる。甘い香りが鼻腔をくすぐり、とくん、とくん、と背中越しに幽々子様の鼓動が聞こえる。

「大丈夫よ…だってこんなに可愛いじゃない…」

 するり、と首のチョーカーが解かれる。胸元まで編み下げてある皮紐が、まるで魔法の様に解かれた。

「ふふ…あなたも、気持ちよくなればいいわ…」

 撫ぜる様に首から鎖骨へ、鎖骨から指先を立てて谷をなぞった。肉付きの薄い体はそれだけで敏感に反応してしまう。

「んッ…」
「敏感なのね…」

 そしてさらに下に指を這わせ、申し訳程度のふくらみに指先が…

「とりあえず、もみしだいて腫らせれば…」
「ぁ…え?」

 すっと、甘い香りが消えたかと思うと、妖夢は我に帰る。そして今度は本当に恥ずかしかったのか、悲鳴さえ出せずに無言のまま、しかし流れるように素早く、幽々子から距離を置いた。

「あ」
「……」
「な、何で途中でやめちゃうのよ〜。いい雰囲気だったのに…」
「それは幽々子様、なにやら不穏な単語が聞こえたからです」
「…あら」
「腫らせば…どうなるんでしょうか? 教えていただければ幸いですが」
「それは秘密よ」
「…今日の晩御飯ですが」
「紫が『外のおいしいお菓子』を手に入れたって聞いたから…」

 あっさり過ぎるほどあっさりと白状した幽々子は、全く悪びれもせずにそう言った。妖夢は毎度の頭痛に悩まされながら

「それで、それを賭けてどっちが可愛いかで勝負したんですか」
「さすが妖夢! 話が早いわね〜」

 すぅ、と息を吸って。

「晩御飯、抜きですッ!!!」

 冥界に轟くその声の後に、負けないくらいの悲鳴が響いたという。

 



FIN



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